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1890年(明治23年)8月25日、現在の総武本線の母体となる総武鉄道の建設工事が市川・佐倉間で始まり、1894年(明治27年)7月20日に開業した。
物井駅から佐倉駅へ向かうルートは、物井が海抜約20メートルの低湿地帯、佐倉の中心地は海抜約30mの台地にあるため、長距離に渡って緩やかな坂の築堤を作る必要があった。 このため、窮余の策として佐倉駅は街の中心から離れた場所に開設することとなった。 (町外れに駅を開設したため、後年になって八街方面と成田方面の2方面に向かう路線を容易に開通することができたとも言える。) 物井駅と佐倉駅と結ぶ最適ルートは、寺崎台地を抜ける現在の寺崎トンネル(約250メートル)を通るルートであるが、トンネル掘削費用を浮かせるため、四街道・亀崎地区から佐倉・寺崎台地へ一直線に進み、寺崎台地のふもとを大きく回り込むルートに設定された。(これが今回探訪する旧線跡) 寺崎トンネルが開通したのは1968年(昭和43年)。 1968年は総武本線が大きな変化を遂げた年で、同年2月25日に総武本線の物井・佐倉間が複線化され、3月28日には総武本線・成田線の千葉・成田間が電化された。 寺崎トンネルの開通は、複線化および電化に伴う工事の一環として行われた。 というのも、元々単線に必要な幅しか確保してなかった寺崎台地のふもとは、県道が併走するために複線化の用地が確保できず、総武鉄道開業以来74年目にして、当初の計画だった寺崎トンネルルートが開通したのだった。 ちなみに、この寺崎トンネルルートが突然注目を浴びたことがあった。 2002年9月に、旧ルートから新ルートに変わった以後も、旧ルートの営業キロのまま34年間に渡って運賃を徴収していたことが判明した事件がそれで、旧ルートより529メートル短縮されたにも関わらず、営業キロは改訂されていなかった。 これに対し、JR側は「78年の運賃法改正で営業キロが確定しており、新会社移行後もそのまま引き継いでいる。運賃を変える予定はない」と修正を拒否し、今日に至っている。 現在、旧ルートは農道と宅地と空き地(荒れ地)になっており、実際に歩くことのできる旧線跡は全体の1/3程しかない。 特に佐倉側は開発・造成が進行中で、旧線跡に立ち入るのも困難になりつつある。 かろうじて当時の面影を残したまま実際に歩くことができるのは、亀崎分岐点から旧物井川橋(通称・寺崎鉄橋)梁橋脚跡までと言える。 今回この旧線跡を辿るきっかけとなったのは、物井・佐倉間を走るSLの写真だった。 今はなき旧ルートを疾走するSLの写真撮影スポットを自分の目で確かめてみたくなり、物井駅から佐倉駅まで旧線跡を探索することにした。 以下は、梁橋脚跡とSL写真の撮影地を求めて、総武本線旧線跡を辿った記録である。 航空写真に見る旧ルートと新ルート SLが廃止になって間もない昭和49年頃の写真。 赤線が旧ルート、青線が現在の新ルート。まだ旧ルートの形跡が残っている。 旧線が寺崎台地の最北端目指して一直線に線路が走っていた様子がよく分かる。(写真クリックで画像拡大) 1, 物井駅から亀崎まで 物井駅の改札を出ると通路は左右に分かれ、左が東口、右が西口である。 方位的には左が南、右が北なのに、これが許されるのが物井のすごいところ。 旧線跡を見に行くには、左の東口に出る。階段を降りたら、佐倉方面に向かってひたすら線路沿いの道を歩く。途中、一度線路から遠ざかるが、気にせず線路に最も近い道をひたすら進めばよい。 2, 亀崎踏切付近 列車が来れば一目瞭然だが、線路が大きく右に曲がるところがあり、そこが旧ルートと新ルートの分岐点になる。 分岐点を左に見ながらそのまましばらく直進し、最初の踏切を渡って物井方面に戻ると、分岐点付近まで近付くことができる。ここには用水路越えのミニ鉄橋や、当時の線路に使われていたと思われる砂利が見られる。 3, 分岐点を通過するしおさい号。 寺崎トンネル方面に向けて左にそれる特急しおさい号。以前は今の撮影地点に向けて直進していた。今では雑草が生い茂って歩くのも困難。 4, 分岐点付近から佐倉方面を臨む。 今は農道代わりに使われているが、よく見ると周囲より数メートル高く、明らかに鉄道築堤である。 この築堤を真っ直ぐ進むと、途中人家にぶつかるので、一旦側道に出て旧線跡と平行に歩く。 5, 鹿島川を渡る橋の手前に石像が建っている。この前を左折すると、梁橋脚跡が見える。 田んぼと空き地の中に、役目を果たして静かにたたずむ梁橋脚跡が忽然と姿を現す。 設置から100年以上、手入れされなくなってから35年が経つのに、依然として当時の姿をとどめているのは、やはりこの梁橋脚がしっかり作られた証拠ではなかろうか? 6, 梁橋脚跡に登って、佐倉側(寺崎台地)を臨む。 旧ルートは写真のように寺崎台地の北側ふもとを目指して一直線に線路が敷設されていた。梁橋脚跡から鹿島川を越えるまでは高低差があるため、鉄橋がずっと渡されていたらしい。 7, ここでふと気付いたのがこのSLの写真。 鉄橋を渡るSLの写真は、物井・佐倉間ではここでしか撮影できないはずだ。 アングルを見極めながらあぜ道を歩いてみる。梁橋脚跡の脇に茂っている2本の木が当時とほとんど変わらず、これが決め手となった。(撮影スポット1) 現在の様子 8, 梁橋脚跡から寺崎台地へは、やや遠回りだが石像に戻って橋を渡り、そのまま真っ直ぐ進むしかない。折角なので寺崎トンネルに寄り道していく。 9, 寺崎台地のふもとに沿って進むと、県道とぶつかる。この直前に鹿島川から続く築堤があり、ここも農道代わりに使われているらしい。 10, ちなみに、寺崎台地の最北端には寺崎城跡登山口があり、ここに登ると亀崎・寺崎地区が一望できる。旧線跡もわかりやすい。 寺崎鉄橋付近拡大写真。左右を斜めに横断しているのは鹿島川。 11, しばらく県道に沿って歩く。今では歩道が整備され歩きやすい。 歩道と台地の間が、旧ルートのあったところだが、今では藪状態でとても入ることができない。部分的に宅地化されており、県道沿いということもあっていずれ住宅地になるのではなかろうか? 12, 寺崎の隣町の羽鳥に、給水塔のようなものが立っている。これと同じものらしき物体が写っているSL写真がある。 直線コースでしかも細長い人工建造物が右手に見えるのはここしかない。SL写真は、今は藪と化している線路脇で撮影されたものと思われる。今回は藪の手前で撮影。(撮影スポット2) 13, 寺崎台地を過ぎると佐倉駅まで平坦な地形が続き、県道に沿って不自然な空き地が残っている。 14, 途中に小川か用水路の上を通るために作られたと思われる(?)、小さなコンクリート製のトンネルが残っている。この空き地(藪)に昔何かがあったことを伝える、数少ない遺跡であろう。 次のSL写真は、影の向きとカーブから、おそらく佐倉を出て寺崎台地のふもとに回り込んだところだと想像しているが、その線路脇に線路下を通る小さなコンクリート製のトンネルのようなものが見える(白丸)。これが前出のトンネルかもしれない。 2004年12月25日 追記 現場を再訪してみました。やはり写真に写っている現場に間違いないと思われます。 現在、線路跡に重機が入って斜面を造成しているので、いずれ消滅する可能性があります。 作業車が入れるよう、簡易道路ができていたので、はっきりと現場を観察できるようになりました。 現場拡大写真です。 15, 県道と空き地とに挟まれた歩道を進むと、大きな交差点に差しかかり、寺崎地区が終わる。この先にある法務局佐倉支局から佐倉駅までは空き地も消え、線路があった面影は全くない。 16,佐倉駅直前にやや広い空き地が残っている。 ここは左右に分かれる新線と旧線の間にあった空き地の名残で、ここをSLが走っていたわけではない。旧線は空き地の側道付近を走っていた。 赤線が旧線ルート、黄色点が上記写真の撮影スポット。 17,住宅のすぐ脇を通過するSLの写真。 非電化で複線なので場所の特定に苦労したが、的確なアドバイスをいただき、左側の線路は旧線時代の佐倉駅西方の引き上げ線であることが判明した。 現在はフェンスがあって当時の撮影ポイントに立つことはできないが、現在道路になっているところを旧線が通っていた。(撮影ポイント3) なお、撮影ポイントの選定だが、SL写真右隅に写っている人家の屋根と同じような屋根の構造を持つ古い家が残っていたので、ややこじつけではあるがSL写真の撮影ポイントとした。 これで旧線跡ツアーもおしまい。 かなり寄り道しながら歩いて、全行程で約2時間、関東近県の旧線巡りとしては手頃ではなかろうか? なお、道中には自動販売機は皆無なので、食料・飲料水は予め入手しておくこと。 補足: 以前、亀崎の分岐点と思っていた写真が、実は佐倉駅付近の写真である ことが判明した。これは旧線の写真ではないが、折角なのでオマケとして 訂正掲載することにした。 ご指摘下さった方に厚くお礼申し上げると同時に、検証ミスで誤情報を掲 載したことをお詫びします。 佐倉駅と寺崎トンネルとの間に、やや不自然な空き地が線路と平行して残っているが、これは佐倉駅の新線西側入れ換え用側線跡地だったらしい。 このSL写真は佐倉駅を出て寺崎トンネルに向かうところで、非常にアングルは似ているが亀崎の分岐点ではなかった。旧線と思われた線路は、前出の入れ替え用側線だった。確かに後方写っている高圧鉄塔は亀崎には存在せず、佐倉駅西側に全く同じ形状の高圧鉄塔が立っている。 なお、信号機の向こうに小さな横長の黒い物体が写っているが、当時佐倉在住の方の証言によると、これは旧線に留置された蒸気機関車(廃車)らしい。 当時の航空写真で確認すると、確かに旧線上に黒い物体が写っており、証言の正しさを裏付けている。よって、このSLが新線を走るものであることは間違いないだろう。 参考までに現在の同地点の写真を掲載しておく。(撮影ポイント4)
by monoist
| 2004-09-19 12:55
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