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物井では、駅から約10分ほど歩いたところに、都市機構(旧・都市基盤整備公団)が"もねの里"という名の大規模な宅地開発を行っている。
面積にして物井区の約半分を占めるこの住宅地は、予定より大幅に遅れて進行中だが、その原因の1つは景気後退・都市回帰現象といった社会的な動向の変化で、もう1つは各種遺跡や文化財の発見に伴う工事中断とも言われている。 さて、その"もねの里"の案内パンフレットを見ると、地図に古屋(こや)城跡というのがあり、そこはいずれはもねの里6号街区公園になるらしい。 日本人に記念公園を作らせると、およそロクな形態にならないことは自明の理なので、都市機構がデタラメに手を加える前に、自分の目と足を使って現場を見ておこうと決めた。ところが、物井の地図に古屋城跡というものは載っておらず、都市機構の地図は完成時の地図で現在は道路の影も形もないため、どこにあるのか全く見当が付かない。 秘密兵器(?)の航空写真とて、対象物の位置と形状が分からなければ、探しようがないのだ。 そこで取り敢えず該当すると思われる地区へ行き、自力で探すことにした。 どんなところを歩くか分からないので、作業用Gパンに長靴、双眼鏡にデジカメの探検隊仕様である。 まず車で近くまで行き、双眼鏡と地図を使ってターゲットを探す。 どうやら城跡は現在工事中で立入禁止区域の場所にあるようだ。 今日は休日で工事関係者は皆無だが、どうしたもんか・・・と考えているところへ、付近に住んでいる50年前は美人だったと思われるおばあちゃんがヨロヨロと通りかかった。 試しに「古屋城跡ってどの辺かご存知ですか?」と尋ねたら、記憶からデータを引き出すのに約5秒ほどかかったが、いろいろ詳しい説明をしてくれた。 「・・・・・んで、そこの地主のコヤさんだげどもよ・・・・ああ、あの人がコヤさんだよ」と指差した向こうから自転車に乗ってやってきたのは、60代後半の典型的物井住民の元気な隠居さん。 畑からの帰り道に落とし物をして、自転車で探しに来てたところに我々と遭遇したんだそうな。何という絶妙なタイミング。地主に出会えるなら、これ以上望むことはない。 名も知らぬおばあちゃんはコヤさんに私を紹介してくれ、コヤさんと古屋城跡に表玄関から堂々と入り、マンツーマンでガイドしてもらうという僥倖に恵まれた。 しかし入っていった家の表札には、どこにも古屋とは書いてない。 これが物井の文化で、同姓が多いことやお互い勝手知ったる仲なので、本名ではなく屋号(あだ名)で呼び合うことが(特に年輩世代に)多い。 化粧品のセールスやってたから○○さん(○○には化粧品メーカーの名前が入る)、校長先生をやってたので校長先生という具合で、今回も古屋城跡に住んでるので"古屋さん"になったのだろう。 ま、それはともかく、一旦母屋の土間口で資料を見せてもらい、その後ツアー開始。 古くからの住民だけあって、行けども行けども奥まで敷地は続く。大半は雑木林だが、その雑木林そのものが古屋城跡なのだった。道理で簡単には分からないわけだ。 以下、四街道市の遺跡という冊子の受け売りだが、古屋城跡の簡単な説明を。 古屋城跡は、物井字北ノ作地先の北向きの台地先端にあり、土塁と堀が四角に巡っている単郭式の城跡。昭和52年に城内の井戸を調査したところ、中国製の白磁の碗や朱塗り木製碗が見付かり、それにちなんで白磁の井戸と命名された。 また井戸の近くから室町時代の青銅製鏡「亀甲鶴亀鈕鏡」が見付かり、城跡と白磁の碗と青銅鏡の3つが1983年(昭和58年)4月15日に四街道市文化財に指定されている。 (左図はクリックで拡大) さて、文字ばかりでは面白くないので、現場の写真をご紹介。 1枚目は昭和54年頃の北ノ作付近の写真。 これに古屋城跡の図を合成したのが2枚目の写真。 当時はこんな感じで古屋城があったのだろう。 これが古屋城の堀。土を掘って両側に積み上げたもので"空堀"と呼ぶ。 ちなみに堀は敵の侵入を防ぐために土を掘ったもので、塁は敵の侵入を防ぐための堀プラス弓矢・鉄砲の防御用に造られたものを言う。 写真ではやや見にくいが、実際は4~5メートルほどの高さがあり、それが幾重にも構築されているので、それなりの防御になっていたと思う。 人家の敷地の中に立つ説明碑。こんなものをここに立てて誰が気付くというのだ!?(画像はクリックで拡大) これが白磁の井戸。ご丁寧に屋根を付けてもらったまではよかったが、コンクリートで囲われ、上には金網まで張られてしまい、井戸の中は雑草畑状態で何も見えない。 テキスト化するのが面倒なので、説明文をそのまま載せます。(^^; (画像はクリックで拡大) 最北端がやや出っ張った地形になっており、お城の専門用語(?)でそこを郭(くるわ)と呼ぶ。台地の最先端に位置するので、敵が攻めてきた時の防衛ライン最前線になった場所であろう。しかし今では道路建設予定地のため、樹木は丸坊主にされ、この郭も削られて消滅予定。郭の先に調整池準備地が見える。以前は田んぼだった。 離れた場所から見た郭。これじゃ単なる禿げ山。攻められたら一巻のおしまい。 こちらは隣の台地の今の状態。見事なまでに階段状に削られ、以前の面影はどこにもない。 もねの里のコンセプトは"ガーデンライクに暮らす街"だそうだが、これだけ自然を破壊しておいて何がガーデンライクなんだか・・・。 写真中央に白く見えているのが完成済みの道路。これが郭を通り、台地を一周して環状線にする計画。こんな山の中にわざわざ家を建てなくてもよさそうなものだが。一度計画を立てたら何があろうと前進あるのみ。修正とか中止という発想はないらしい。 最後に・・・・。 初対面、しかも突然の来訪にも関わらず、ご丁寧に城内を案内していただき、本当にありがとうございました。心より感謝申し上げます。>荻原様
by monoist
| 2004-09-23 23:46
| 歴史
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